新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
年末年始は恒例の行事がいろいろとあります。正月恒例、箱根駅伝のテレビ中継を見ていると沿道の観客が以前のように増えていて、コロナ禍が次第に遠ざかりつつあるなと思います。遡って大晦日の紅白歌合戦は知らない歌手がいっぱいで、昭和どころか平成も遠ざかりつつあることを思い知らされます。
そんな中でも、まだ昭和の色を残しているのが石川さゆりさんで、ここしばらくは往年の名曲「津軽海峡冬景色」と「天城越え」を毎年交互に選曲し、披露しています。
すっかり変わってしまった津軽海峡冬景色
名曲「津軽海峡冬景色」も今となってはすっかりその様相が変わってしまっています。"上野発の夜行列車"は既になくなってしまっていますし、青函トンネルの開通で青函連絡船がなくなったのは昭和最後のことで、今では東京発の新幹線が青函トンネルを走り、そのまま函館へ走りますから、“私は独り新幹線に乗り”津軽海峡の景色も僅かに眺めるくらいで北へ帰ることになるのでしょう。
ただ、顧みられることも次第に減ってきている昭和の風景を辿るにはとても良い歌であることは間違いないです。
さて、もう一方の「天城越え」。天城越えと聞くと、川端康成の「伊豆の踊り子」が伏線になるのか、何となく近代文学的な雰囲気が感じられます。しかし、この曲が作られたのは昭和60年代に入ってからで、昭和の中でも比較的平成に近い時代に属します。
その頃の「天城越え」と現在の「天城越え」の風景はそれほど変わらないものだと思います。
作曲当時のまま?
私が子供の頃、昭和50年代の半ばに家族旅行で下田へ行った際に、浄蓮の滝や天城の「昭和の森」に立ち寄った記憶があります。その頃は天城峠から下田に少し下った河津七滝にループ橋が出来たばかりでしたが、その他には天城周辺はほとんど変わっていません。ですので、「天城越え」については曲が作られた当時のままの風景が今もあるのだと思います。強いて言えば、伊豆地域も平成の市町村合併で特に伊豆半島の北の方で合併が進みました。浄蓮の滝のある旧天城湯ヶ島町も今では伊豆市の南端になっています。
進む伊豆縦貫道の整備
とはいえ、天城越えの風景もこれからは少し変わっていくかもしれません。
伊豆半島では伊豆縦貫道という高規格道路の整備が進行中で、現在は東名沼津インターに隣接する岡宮インターから、修善寺を通り、旧天城湯ヶ島の月ヶ瀬までが一本の道路でつながっています。また天城峠以南の河津から下田にかけても伊豆縦貫道の整備が進んでおり、今年の春に河津から下田にかけての一部区間が開通する予定になっています。
一方、月ヶ瀬から河津にかけては伊豆縦貫道のルートが正式決定されていない状態になっています。
その「天城越え」ルートもそろそろ実現に向けて具体的に動き出しました。
この区間は環境保護の他、トンネルを掘削することにより温泉やわさび田など産業面での影響も懸念されるため5年係りで慎重にルート選定が行われていましたが、先月2022年12月に静岡県都市計画審議会でこの区間の都市計画案が了承され、いよいよルートが内定することになりました。 伊豆都市計画道路の変更(静岡県決定)
今後、公共事業として正式決定されると、用地取得や建設工事に進むことになります。
「今後」を大雑把に予測
では、いつ頃完成になるのでしょうか。
平成31年の1月に完成した同じ伊豆縦貫道の修善寺~月ヶ瀬区間、天城北道路の場合、事業化されたのが平成6年度、用地取得が平成12年度から、工事には平成14年度から着手し、平成30年度末に全線が開通しています。
いろいろと条件が異なるでしょうし、単純に比較はできないことは承知の上で、あえて単純に当てはめてみると25年くらい先ということになりそうです。仮に、自動車専用道が出来た場合でも現道がなくなるとは考えにくく、全く行けなくなるわけでもないでしょう。つづら折りの国道をドライブする楽しみはなくなるかもしれませんが。
それ以前に、果たしてその頃、紅白歌合戦があるのか、あったとしても石川さゆりさんも25年後には89歳で、今年史上最高齢で紅白歌合戦を卒業した加山雄三さんを上回ります。
予測できない将来を予測するのは慎まなければなりませんが、「天城越え」が紅白歌合戦で歌われている間は今のまま”安泰”なのでは?というのが当たらずとも遠からずのような気がします。
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