静岡県立大学地域経営研究センターの社会人学習講座「事例から考える企業不正 ~会計監査の視点から~」が開かれた。監査論を専門とする北海道大学・吉見宏教授と財務会計を専門とする静岡県立大学の上野雄史准教授による混成の講義で、企業の不正の要因、特に企業会計に留まらない監査に対する社会の要請がますます強くなって来ている現状を中心に講義が展開された。
吉見教授のお話の中で、「倫理」と「道徳」の違いについて触れられたのが特に興味深かった。「倫理」と「道徳」の違いは、道徳とは善悪についての原理であるのに対し、それを体系化したのが倫理であるとのことだった。
特に日本では「道徳」については馴染みがあるものの「倫理」に対する馴染みは薄いのではなかろうか。
話は少しずれるが、「法」と「道徳」の違いも大学の教養課程などでは習う。法も道徳も社会規範ではあるが、法は国家権力による強制を伴う体系化された社会規範であるとされている。
そうすると、「法」と「倫理」の違いは国家権力による強制の有無ということになりそうである。
米国鑑定士協会(ASA)では行為規範としてCode of ethicsを定めている。日本語にすれば「倫理規定」である。
Code of ethicsでは、「評価人としてあるまじき行為」を列挙している。詳細はこちらに書いてあるため割愛するが、"あるまじき行為"が規定されているということは、これは私だけの感想なのかもしれないが、強制はされてはいないものの強く牽制を受けていると常日頃感じている。しかも法のように構成要件がはっきりしていなところも気持ち悪いところである。吉見教授によれば「倫理」というものが日本では今ひとつしっくりきていないとのことである。実際のところ、実務上は違法性は気にするケースは多いものの、倫理・道徳はそれほど重視されていないように感じる。これは職種のコミュニティによる違いもあるかとは思うが、割と多くのコミュニティに共通しているのではないかと思われる。
会計の世界を中心にプリンシパルベース(原則主義)の考え方が広まっており、プリンシパルベースの世界では「倫理」が大きな意味を持つ。一方、ルールベース(細則主義)では、マニュアル化された規定や基準が大きな意味を持つ。
プリンシパルベースはフワッとしている一方で真綿で首を絞められるような感覚であり、常に判断を求められる。ルールベースはいちいち細かく面倒ではあるが、ルール通りやっていれば問題はない点で安心感はある。
いずれにせよ、法は守っていても倫理的な面で不正、不適切な行為との誹りを受けるリスクは増していると考えた方がいいだろう。
米国鑑定士協会認定資産評価士(機械・設備)
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